コラム
今回で通算21回目のコラムを執筆させて頂きます。よっちゃんです。
今回もどうか多くの人に読んでいただけると幸いです。
今回のテーマ:今回は、・これからの時代は一言で簡潔に伝える事が重要な時代になってくる事・言論の自由の範囲この2点に付いて
お伝えさせてさせて頂きます。
仕事をしている時電話がかかって来て顧客からクレームの電話があったとしましょうか。
それでもクレームを隠すよりは正直に覚悟を決めて上司やもっと決定権のある上司にきちんと報告した方が良い場合もあります。
むしろ隠せば隠す程。自分一人でクレーム処理しようとしても益々クレームの問題が大きくなりやがて自分一人では対処できない程
大きくなってきます。
そんな時は、そんな時は何でも話せる環境、いわゆる「風通しのいい環境」が重要となってきます。
一つ具体例をお伝えさせて頂きます。
「〇〇部長ちょっとお時間宜しいでしょうか、実は✖✖商事さんから電話がかかって来て物凄い剣幕でクレームの電話が、かかって来ました、
そこでお時間があきましたら何処か会議室等の別室を用意して置きますのでそこで詳しい、
クレームの内容をご説明出来ればと思っています。如何でしょうか?
と伺いを立てて提案すると言う方法を取ります。それとクレームの内容が重大であれば他の社員とも情報の共有をしておく事も重要です。
もし上司や上役が電話の応対の最中だったらデスクにメモを書いて残しておくと言うのも一つの方法です。
そうすると上司の方も余程深刻なクレームがあったんだなと意識が変わり別室に言って詳しくクレームの内容を聞いてくれる可能性もあります。
場合によっては。一緒にクレームの対処の方法や解決方法を考えてくれたりその上司や上役によっては、
取引先の会社に一緒に付いて行って謝罪してくれるかも知れません。
それからもう一つ
大勢の前でプレゼンテーションしなければいけなくなった 時どうするか
大勢の前でプレゼンする時必ずと言って良いほど時間が決められています。
この様な時は 、プレゼンの話術として先ず最初に結論を述べて何故その結論に至ったのかのプロセスを語り
そのプロセスを語った上でもう一度結論に戻る話術もあります。
この様な話術でプレゼンを行えば時間内に話を纏めプレゼンを上手く終わらす 事が出来ます。
逆にプレゼンの時間にある程度余裕のある時に使える手法です
それは敢えて結論を先延ばしにすると言う方法です
プレゼンでも幾つかに話を区切って「その話は又次の話でご説明します」と言うように
結論を先延ばし焦らす方法もあります。そして最後の話で纏めて結論を述べる、こう言うプレゼンの方法も在ります。
こうすればプレゼンに来てくれた人達も途中で帰る訳には いかなくなります。
ちなみにこれは何か本を書く時にも使える手法なのでこの先電子出版や自費出版・商業出版を考えている人は使える文章テクニックでもあります。
「だれにとってもわかりやすく簡単な言葉で伝えられる『要約力』を身に着けること」が
これからの時代に最も必要なスキルになってきます
何故この様な事を付け加えるのかと言うと
今ではネットでもSNSでも文章に触れる機会が圧倒的に多くなったからです。
またクレーム報告を行うときもプレゼンテーションの時もそうですが以下に自分の考えはこう思っていると言う主張を簡潔に分かりやすい
言葉にして話すと言うのは
かなりの会話力が必要な高等テクニックです。( ※ 正直これを書いている自分でもそこまでの会話力はありません)
独自でブログでの情報発信をして運営していたとしても文章の構成として
出来るだけ万人に分かりやすく分荘書く事を前提とした上で更に本当に言いたい事を上手く要約出来なければ、
多くの人に共感し伝える事は無理だと思っています。
これを執筆している私自身もブログ運営を行い情報発信を行っていますがまだまだ文章力が未熟だなと思う時があります。
でも文章を書く上で自分なりに気を付けている 事を二つ程お伝えさせて頂きます、
一つ目 専門用語は極力使わない と言う事はとても重要な事だと思います、
(どうしても使わなければなら無い時は( )閉じカッコで区切った上で注訳を入れてその専門用語の説明をする事を心がけます。
二つめ これはこれを読んでくれている読者の皆さんは薄々感ずいている事だと思いますが特定の人や特定の会社等にに対するに
誹謗中傷の様な文章は決して書かない事、これは本当に気を付けて います。
どこの誰が読んでいるか分かりませんからね。直接話しをするにしても文章で書くにしてもこの日本と言う国は、
言論の自由と言うのが、憲法で認められていますが、いくら幾論の自由があるといっても人間のモラルとして言って良い事と決して
言ってはいけない事はあると思います。言葉と言うのはある意味相手を切りつける剣や刀と同じで、
言論の自由があると言う事は鞘に剣や刀を納めず抜き身のまま持ち歩いている様な物です。
ですから誹謗中傷の様な特定の人を叩く様な言葉や文章は一時の感情に任せて絶対に書かいたり言ってはいけない事だと思います。
それに誰かを非難したり誹謗中傷の文章を書く事は同時に自分自身も傷つく事を忘れては行けません。
何よりあなたの発した言葉を聞き誹謗中傷の文章を誰よりも見ているのは、他でもないあなたの中にある線潜在意識、であるからです。
相手を言葉で攻撃すると言う事はそれだけ自分の中にある潜在意識を痛めつけているのと同じなのです。
その結果冷静を取り戻すと「何であんな事を言ってしまったんだろう」「どうしてこんな酷い文章を書いてしまったんだろう」
と後悔の気持ちや罪悪感が湧いてしまうのです、
SNSでは特に、匿名性が高いせいか本当にうっ憤晴らしの為なのか、好き勝手に文章を書いている人か大勢います。
自分が絶対に傷つかない様に物陰に隠れながらターゲットにピンポイントで石を投げ付けている様な物です。
人は何故つい特定の人に対して非難の言葉を浴びせたり誹謗中傷の文章を書いてしまうのか?
これは脳科学の分野で明らかにされているのですが特定の人を叩いたり誹謗中傷の文章を書いている時に、
脳からドーパミンと言う快楽物質が分泌されその時にあ~気もち良いな~と感じる為であります、
機能学者である中野信子氏によると日本人だけでは無く全人類の殆どは、正義と言う名の中毒症状に罹患していると言う説を説いているからです。
これは、中野信子の著書の「人は何故他人を許せないのか」に詳しく書いてあります。Amazonのkindleの電子書籍でも購入可能なので、
参照して頂ければと思います。
小中高の学校の虐め問題も脳から快楽物質であるドーパミンが分泌されてしまっている事で説明が付きます。
弱い人を虐める事事態虐めっ子の人達に取っては、既に快楽であり娯楽の一つに過ぎないんですよ。理由なんて後付けで幾らでも出来ますから。
ある意味虐め中毒に掛かっているとも言えます。
最期に言いたい事は言葉と言う物は、 ある意味、目に見えないエネルギーや念の様な物であります。
相手を非難したり誹謗中傷の文章を書くと言う事はそこから目に見えないマイナスのエネルギーや念が出てしまい結果的に
誰も 幸せになれないからです。言い方や誹謗中傷を書き込む事によっては相手を傷つける武器にもなるんだよと言う事を主張させて頂きます。
今回は、・これからの時代は一言で簡潔に伝える事が重要な時代になってくる事・言論の自由の範囲この「2点に付いて
お伝えさせて頂きました
それと年内はこれが今年最後のコラムになりそうですので来年も
日常的にはあまり知らない情報や為になる様なコラムを今後も続けて行くのでこれからもよろしくお願いいたします
どうぞ良いお年をお迎えください
そして来年もよろしくお願い申し上げます。
最後まで読んでくれていた読者に感謝します、
ありがとう御座いました。